肉を食べる行為は残酷・・・という意見に対して思うこと

戯言

 ある自己啓発系のYouTuberさんの動画を拝見して、感じたことがございましたので、本日はそれを記事にしてみようと思います。

 

 人は、生きる為に多くの命を奪います。その代表たる行為に「肉食」という行為が挙げられるかと思います。

 人間は、食べる為に動物を繁殖させ、そして育成し、屠殺して肉にします。簡潔に述べましたが、それはとても時間と手間のかかる行為で、且つ屠殺される動物はきっと望んでいません。

 例えば、牛に関して聞いた話ですが、牛舎から屠畜場に送られる牛の中には、これから迎える自分の運命を察して、涙を流して抵抗する牛もいるのだそうです。

 さて、牛の話を致しましたので、ついでに肉牛がどの様に食肉になるか簡単にご説明いたしましょう。

 屠畜場に連れてこられた牛は、健康状態の検査を受けます。その後、検査をクリアした牛は特殊な機材で額部分から銃撃され、失神させられます。この時点で、牛にはまだ息があります。
 失神させられた牛は、後ろ脚を鎖で繋がれ、逆さまの状態で釣りあげられます。そして、喉元を鋭利な刃物で裂かれ、心臓付近の大動脈を切断されて失血死させられます。(昔私が観た動画ではこの工程でしたが、失血死させてから片足に鎖を繋いで逆さづりにする工程もあるそうです。)
 この時、中には大きな鳴き声を上げる牛も居ます。今際の際の最後の声です。牛の喉元に作られた裂傷から、水道の蛇口を捻ったが如く血液が流れ出ます。
 そうして息を引き取った牛は、皮を剥がれ、洗浄。更に頭部と脚を切断され、内臓を摘出されてから縦に真っ二つにされて枝肉となり、もう一度洗浄、計量などされてから冷蔵保存されます。
 ここで、一定時間熟成されることにより、やっとのことで食肉となるわけです。

 この作業だけで判断するのであれば、とても残酷な内容に思えます。

 何故一思いに殺さないのか?これには理由があります。

 失神させ、心臓が動いているうちに失血させなければ、肉に血液が残ります。そのまま食肉にしてしまうと、臭いがきつくなり、美味しく食べることが難しくなってしまうのです。

 つまり、この屠畜工程は、人間が肉を美味しく食べる為に考えられたものなのです。

 ここまでの話で、人間とはなんと罪深い行いをする生き物なのであろうか、とお思いになられる方もいらっしゃることでしょう。私もそう思うことがあります。

 ですが、人間は太古の昔より、そうやって生き物を殺して肉にし、食べてきた生き物なのです。寧ろ、農耕民族となったのはつい最近の話(ここ1万年ほど位前から)なのです。
 生きるために動物を殺し、食欲に従って食べ続けていったことで、もっと美味しく食べる為にはどうすれば良いのか、と考えて、試行錯誤を繰り返し、技術を進化させていった結果、今に至るのです。また、何故先人たちはそうやって来たのか、ということですが、それは肉を得る為に苦労したからです。牧畜が発明されるまでは狩猟が主たる肉獲得の手段だったはずです。狩りとなれば危険はつきもの。時にはケガをしたり、命を落とす仲間もいたことでしょう。そうしてまで得た肉を、可能な限り無駄にしたくない!と思うのは当然の話です。

 我々ご先祖様たちのこうした思いを考えると、生き物を殺して食べるという行為を、罪深いと言えるのでしょうか?

 

 ちょっと話を別の観点から進めてみましょう。

 食育の一環として、子供たちに食用として動物を飼育させるプログラムがあります。子供たちは最初からその動物を、食べるという目的で育てることになります。勿論、子供たちは先生からその旨を伝えられた上で育てます。名前も付けます。

 育てていく中で、子供たちはその動物に愛着を持つようになります。

 しかし、必ず別れの時はやってくるわけです。子供たちは最初からその時が来ることを解っていたわけですが、愛情を注いで育てた動物との別れに悲しみます。何故なら、その後、その動物がどうなるかまで把握しているから・・・殺されてしまうからです。

 動物は屠畜処理され、食肉となり、育ててくれた子供たちの前に姿を変えて再び現れることになります。美味しい料理となって。

 先生は子供たちに伝えます。

 「今日のこの給食のお肉は、みんなが愛を注いで育ててくれた動物のお肉です。感謝して、残さず綺麗に食べましょう。いただきます。」

 子供たちも続いて声を合わせます。「いただきます。」

 子供の中には涙を流して食べる子もいます。ですが、みんなきれいに残さず食べます。
 そして最後に、みんな揃って手を合わせ、声を合わせてお礼を言うのです。

「ごちそうさまでした。」

 このような食育プログラムを受けた子供たちは、食べ物に対する有難みを身に着けます。そして、食べ過ぎや食べ残しをしなくなるのです。

 もしかしたら、中にはショックの余り、お肉を食べられなくなる子もいるかもしれません。実際、鶏を自分の手で絞めて肉にし、料理して食べる、という食育プログラムを実践している農場がありますが、暫く肉が食べられなくなる子はいるそうです。

 私は、それはそれで良いと思います。別に、罪悪感を感じてまで食べる必要はありません。必要な動物性たんぱく質は、お肉以外からも摂れますからね。

 肉食に対して批判的な方に於いても、同じです。別に食べなくてもいいんです。

 ですが、改めて言わせて頂きます。

 人間とは、本来肉を食してきた生き物なのです。古より、人はそうやって生きて来たのです。その行為に、善も悪もありません。そして、健やかに生きる為には、それは現代に於いても大切なことなのです。
 ですから、動物が可愛そうだとか、人間の我儘な行為だとか、そんなこと仰らずに、美味しく調理し、残さず綺麗に食べて頂ければなぁと思います。そして、そのお肉が食卓に並ぶまで世話をしてくれた多くの方々や、何よりその命を分け与えてくれた生き物に、心から感謝して頂ければなぁと思います。
 もし、どうしても肉を食べることに嫌悪感を抱かれるのであれば、別に食べなくても構いませんが、食べる人に対して否定的な意見を述べるのはやめて頂きたい。

 感謝する、という点に関しては、別にお肉に関してだけではありません、食料に関して、私は共通して思う事があります。

 買いすぎや、それに伴う保存期間超過による無駄な廃棄。作りすぎによる食べ残しで発生する残飯廃棄。良くないですよね・・・。
 本当に心の底から食べ物に対する有難みがあれば、こういったことはもっと減っていって良いのではないか、と思うのです。

 手に入れて自分のモノとした以上、無駄なく使いきるのが、何よりもの供養であると、私は考えます。

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