宗教における天と、現実における天

メンタル

つい数時間前、スペースX開発による新型宇宙船クルードラゴンが約2か月間の友人飛行を終えて地球に帰還しました。

無事にフロリダ州沿岸の海上に着水したようで、なにより。

さて、このニュースを目にして、私は改めて宗教における天の存在を意識してしまったの。

よく「天にいらっしゃいます神様」とか「天に召される」とかって表現するじゃない?

古代、信仰心の強い宗教家は、天に神様のいる世界が存在するって、本気で思っていたんだよね。

だれもそこにたどり着くことは、この世にいる間は不可能で、真実は解らない。

でも、きっと目にしている大空の向こう側には、神様の住む別の世界がきっとあるんだ・・・と、信じていたと思うのよね。

だから、そういった表現をしていたんだと思うの。

時代は移り変わり、人間は、地球は丸くて宇宙の中の星の一つに過ぎず、そして皆が神の世界としていた天は、宇宙であり、その宇宙には更に無限の世界が広がっているという事実を知る事になる。

そして、技術の発達により、人はその宇宙にまで到達できるようになった。

この事実を受けて、宗教家たちはどう捉えたのだろうか?

信じていたものと事実は違った。

天に神のいる世界は無かった。

現代においては、宇宙の存在は常識となり、神様のいらっしゃる天界とは、宇宙とはまた別のものとして、ごく普通に捉えられている。

どちらかというと、心の奥底に存在する、と捉えられている。

潜在意識とか、そういう部分。

哲学者とかはいち早くそこにたどり着いたんだろうね。

神のいる天界とは、人間の心の、普段触れることのそうそう無い、深い部分にあるのではないか、って。

そう理解するしか無かったんだろうねぇ。

まぁ、そこに関しては、まだまだ私の学びが足りないから・・・詳しい方にしてみれば、こいつなんも知らねぇなぁ、ということを語っているのかもしれないけど。

でもさ、同じこと考えたことのある人っていっぱいいるはずよ?

自分たちの行けない場所、目で確認出来ない場所に、神様はいる、って考えたんだもん。

それが、いつしか行けるようになって、目で確認出来るようになっちゃったら

そこに神様はいなかったんだもん。

いや、いるのかもしれないけど・・・目で確認出来なかったじゃん。

確認出来る人もいるのだろうけど、少なくとも私の目には確認出来たことは今のところない。

結局、人々は、どうやったって確認なんて出来るはずのない、人の心に、神様は存在する、としてしまった。

これってある意味、逃げ道にも思えてしまう。

そうすれば、誰も証明出来ないから。

いや、いいんだと思うんだ。

証明出来なくて。

証明出来てしまってはいけないことなのよ。

というか、宇宙そのものが神なんだから。

結局のところ、そう結論づけたわけでしょ、人々は。

本来は、偉大な力を持った神という絶対的な存在が、宇宙を作りだし、我々もおつくりになった。

その神には意思もあり、間違いも犯してきた。

まるで人間のような存在。

というか、神に似て作られたのが、人間だから。

このように、人物像が描かれていたんだよね、神のイメージ。

でも、現代においては、神とは宇宙、とされている。

まぁ、偉大なことは共通している。

宇宙の始まりはビッグバンとされており、そのビッグバンこそが、始まりの神。

ん?神って何かの確固たる存在ではなく、出来事のことを言うの?

って、私思ったよ。

はぁ・・・答えは出ないなぁ・・・なんでこんなことをブログ記事にしようと思ったんだかw

曖昧で、答えが出ないからこそ、いいこともある、ってことなのかなぁ・・・。

いつか神の存在を知ることが出来るようになれないかしら・・・。

声だけでも届かないかなぁ・・・なんてねw

 

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